【小説】『ソードアート・オンライン』VRMMOはSFなのか? というよりそもそもSFってなんだ?

※この記事は、小説投稿サイト「カクヨム」にて2018年10月20日に公開されたものを一部修正して転載しています。

カクヨム版

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886711486/episodes/1177354054887298900

 現在『ソードアート・オンライン』(以下SAO)の3期が放送されています。3期はアリシゼーション編ですが、実はこのあたりのエピソードは初見なんですよね。小説は昔に7巻くらいまで読んでいたのですが、アリシゼーション編がとんでもなく長い話ということを知り心が折れた記憶があります。いやほら、私は結末に面白さを見出すタイプの、つまり完結主義なところがあるので、終わりが見えない物語に苦痛を感じてしまうのです。連載スタイルの作品はどうも苦手で……。

 そんなこともあり、SAOのアニメを初見で視聴するのはなかなか新鮮な気分がします。事前に内容を知っていた1期と2期とは違い、先が気になる楽しさがあって面白いです。

 3期を見始めてから、やっぱりSAOってSFなんだなと実感します。とくに第1話の後半、現実世界での説明パートはSF好きとして楽しめました。

 ソードアート・オンライン アリシゼーション 第1話「アンダーワールド」

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 そういえば、SAOの大ヒット以降、VRMMOものって増えたような気がしますね。まあヒット作に倣って流行りに乗っかるというのはわかります。

 で、VRMMOで作品を探してみると、ジャンルのカテゴリーがほぼ「SF」になっているんですよね。まあ次世代VRだからSFっていうのもわかります。ただいくつかの作品は、SFと呼んでいいのか疑問を抱くものもあるのです。私もそこまで多くのVRMMO作品に触れてきたわけではないですが、しかし、「それどう考えてみSFじゃねえだろ!」と言いたくなるときがあります。

 というわけで、今回は「VRMMOはSFなのか?」というお題です。

 ただ先に結論を言ってしまうと、VRMMOというジャンルについては「ものによる。ただしSAOは紛うことなきSF作品」としか言えません。いやそれお題に対する結論になっていないかもしれませんが、まあ、つまりはただ単にSFの話がしたかっただけです。

 よって今回は「VRMMOはSFなのか?」という建前のもと「そもそもSFってなんぞや?」というお話。

 SFとは何かという話なら、単純にSFの定義の話をすればいいのですが、その……実は、SFって明確な定義がないんですよね。

 よくSFは「サイエンス・フィクション」、つまり空想科学作品だと言う人もいらっしゃいますが、単純に科学的だからSFというわけでもないんですよね。

「SFはセンス・オブ・ワンダーが大事」ということを耳にすることもあります。「センス・オブ・ワンダー」とは「一定の対象(SF作品、自然等)に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、または不思議な心理的感覚を表現する概念であり、それを言い表すための言葉である」ということらしい(Wikipediaより)。うん、わかるようで……わからねぇよ!

 そもそもSFがなんの略称なのかという話なら、「サイエンス・フィクション」以外にもあるのです。たとえば「スペキュレイティブ・フィクション」(日本語で思弁小説や思索小説などと訳したりします)というよくわからないものから、科学的なファンタジー作品として「サイエンス・ファンタジー」などもあり、はたまた藤子・F・不二雄によって提唱された「すこし・ふしぎ」などもあって、「SF」という言葉の解釈は多岐にわたります。

 こうした明確な定義がないことにより、時代によってSFの範囲が変動することもあるのです。

 90年代頃はSF冬の時代などと呼ばれていて、要はSFの幅が狭くなってしまった影響でSFそのものが白けてしまったようです。その後2000年代にはライトノベル界隈にて傑作SFが多数出たり、早川書房でSFの新レーベルが誕生したり、また後期には伊藤計劃の登場など、冬の時代を脱して活気を取り戻しました。まあSF史のことは割愛します。各自調べてください。書籍なら『SFの書き方 「ゲンロン 大森望 SF創作講座」全記録』を読むと詳しく知ることができます。

 で、そのSF冬の時代の反動なのかどうかはわかりませんが、2000年代以降、SFの解釈がどんどん拡大しているような印象を受けます。とくに2010年代以降になると、もうなんでもありな状況に。星雲賞(日本で最も歴史のあるSF賞)の去年と今年のコミック部門の受賞作なんか、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』と『それでも町は廻っている』ですよ。「SFだったのか!?」と突っ込まずにはいられない! ……まあ過去の受賞作品をみると、コミック部門ってほぼほぼネタ枠みたいな感じですがね。

 そんなこともあり、今や「誰かがSFと言い張ればSF!」や「SFファンが楽しめた作品がすなわちSF!」という感じで、割とガバガバでとてもアバウトなのです。

 なんなら私も、今年の5月に映画館で『リズと青い鳥』を見た後に、「『響け! ユーフォニアム』SF説」をツイッターで呟いていたくらいですしね。

 つまりは、SFとは個人の裁量による、ということです。

 というわけで、ここからは私個人のSF感の話をします。

 実は私も、SFというジャンルに興味を持ち始めたころは、SFが何なのかよくわかっていませんでした。よくわからないままSF作品に触れ、見様見真似でSFっぽい小説を書いていました。それこそセンス・オブ・ワンダーとしか言えない、うまく言葉に言い表せない直感みたいなもので「SFはこういうものだ!」と判断していました。

 転機が訪れたのは、実はカクヨムを始めてからです。あるときいただいたレビューに「SFは一種の思考実験」と書かれていました。続いて「今の世界の上に仮定を与え、物語の中で実験する」とも。

 このレビューを読んだ瞬間に「なるほど!」と唸りました。

 そして自分なりにSFというジャンルを見つめ直して、SFとは仮定と考察、そして解答なのだという見解に行きつきました。

 説明しますと、

「仮定」:現実に対して「もし○○が××なら~」という前提を加える。

「考察」:「仮定」をもとに、影響や原理を考え、風呂敷を広げる。

「解答」:「仮定」と「考察」を経て、最終的な顛末を提示する。

 という具合です。「仮定」を「問い」とするとわかりやすいかもしれませんね。問いに対して物語で答えを出していく、みたいな。

 ストーリー構成での起承転結や序破急に近いものがあります。つまり設定的な構成があると、よりSFらしくなるということです。

 このとき、必ずしも完璧な科学的である必要はありません。というよりより科学的な考証を用いたジャンルがつまり「ハードSF」という枠なのです。屁理屈でも構いません。ガバガバで曖昧でも構いません。作品の中で納得できる程度に論理的であればそれで十分なのです。

 これにより、スチームパンクや歴史改変SFなどの半分ファンタジーみたいなレトロフューチャーも、しっかりSFの枠に収めることができます。なんなら『魔法科高校の劣等生』みたいな、本当に半分ファンタジーなサイエンス・ファンタジーもれっきとしたSFとなります。

 反面、SFっぽい要素があるだけで「仮定」「考察」「解答」のどれかが欠けているものは、残念ながらSFと呼ぶには厳しいです。

 タイムリープやループもので例をあげると、『STEINS;GATE』はSFだけど、リゼロ(『Re:ゼロから始める異世界生活』)はSFじゃないよね?ということです。

 さらにタイムリープで例をあげると、『君の名は。』以降のライト文芸界隈で小さなブームとなった時間系青春小説たちも、不思議パワーで時間を遡りやり直しているだけで、タイムリープについての仕組みやタイムパラドックスの影響などガン無視だから、さすがにSFというのは厳しいのではないか、ということ。

(そもそもタイムトラベルは、何かしらの理屈で稼働するタイムマシンで行っているからSFであって、不思議パワーで時空を超えたらそれはファンタジーでしょ)

 つまりSFとは理屈的な設定を与えて広げて絡ませるということ。タイムリープ以外にも、ロボットや宇宙船が登場する作品でも変わりません。

 ロボットものなら、どういう形でロボットを登場させるのか(仮定)、そのロボットはどういう原理でどういう影響を社会や世界に与えているのか(考察)、そのロボットはどういう形で物語に参加してどのような結末に至るのか(解答)、という感じです。

 さて、ここでようやくSAOの話です。

 SAOには、フルダイブ技術を活用したガジェットである「ナーブギア」や「アミュスフィア」が登場します。これ作中でもしっかりと設定が語られていて、もしかしたらあり得るかもしれない、というレベルの強度で説明されています。また今アニメ放送されているアリシゼーション編でも、「ソウル・トランスレーター」の説明描写で心や魂の本質からアプローチされています。現実世界と仮想世界との時間のズレを夢に例えて表現しているのも興味深いです。

 またSAOに登場するガジェットの社会的影響という面でも、「メディキュボイド」というフルダイブ技術を転用した、ターミナルケアでの活用を含めた医療用機器を登場させるなど、ゲームだけではない広い範囲でのフルダイブ技術の活用により、変化した近未来の社会を表現してもいます。

 アインクラッド編では話の都合上ゲームの中に潜りっぱなしですが、しかしそれ以降の各エピソードは、ゲームの中の世界と現実世界の両方が絡み合うように語られており、結末も仮想世界と現実世界がリンクしたものとなっています。

 つまりSAOは、「VR」という題材で「仮定」「考察」「解答」をしっかり行った正真正銘のSF作品です。

 で、他の一部のVRMMO作品がなぜSFかどうかが怪しいかといいますと、SAOにあったSFらしさ(仮定、考察、解答)が足りていないのです。

 だって、VRでゲームの世界に潜りっぱなしな作品って、それSF小説じゃなくてゲーム小説じゃん! ファンタジーと変わらないじゃん!

 VRMMOをSFとするなら、VR機器について理屈を混ぜてもっと踏み込んだ設定を見せてほしいです。

 そういったことにより、最初に述べた通り、VRMMOというジャンルについて「ものによる。ただしSAOは紛うことなきSF作品」という結論になったのです。

 VRMMOがSFなんじゃない、SAOがSFだったというだけです。

 ただし、先程も書きましたが、SFとは個人の裁量によるものです。

 私個人の裁量でVRMMOがSFかどうかを語っても、結局は「ふーん、だから何?」ということになります。

 それに、シンプルに「VRだからVRMMOはSF!」という意見について、私は否定しません。というか否定できません。だってSFは個人の裁量ですから。誰かがSFと言い出したらそれはもう立派なSFなのです。

 ただ、私にとってVRMMO、ひいてはSFとは、そういう考え方を持っているということをただ書きたかっただけです。どうでしょう? ツッコミどころ満載でしょ?

 というわけで、今回はSFについての小話でした。

 最後に、ゲームを題材にしつつ本格的なSFをやっている作品を紹介。ハヤカワ文庫JAから出ています『世界の終わりの壁際で』(著者:吉田エン)です。割と最近の小説です。気になった方はご一読を。

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