【音楽】BUMP OF CHICKENの歌詞には物語がある

※この記事は、小説投稿サイト「カクヨム」にて2019年4月5日に公開されたものを一部修正して転載しています。

カクヨム版

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886711486/episodes/1177354054889113807

 先月、自分のTwitterのTL(タイムライン)で興味深い記事が流れてきたので一読してみました。どうやら現役僧侶の方が書いた記事のようで、日本のロックバンド「BUMP OF CHICKEN」の楽曲に仏教を絡ませて解釈した記事のようです。曰く、作詞作曲をしている藤原基央氏は「野生のブッダ」とのこと。藤原氏とブッダはほぼ同じことを言っているとかなんとか。

 自分は年齢的にBUMP OF CHICKEN直撃世代でして、思春期の頃はストレートに感化されてリスペクトしていました(今もしています)。とくに、個人的にはメジャー二作品目となるアルバム『ユグドラシル』は屈指の名盤だと思っています。ただ思春期に直撃しただけに、年齢を重ねるにつれて聴かなくなっていきましたが、ふとしたときに聴くと楽曲の深さに打ちひしがれるといいますか……大人になったからこそ歌詞の意味だったり曲の作り込みだったりが理解できて、そこで改めて衝撃を受ける、みたいな。という感じで自分としては、BUMP OF CHICKENは定期的に波が来る状況ですね。

 そんなBUMP OF CHICKENで青春時代を過ごした身としましては、仏教という観点から解釈したこの記事の感想として、「本人は絶対そこまで考えていない」というものでした。記事に「解釈の余白が多く、文学的な魅力がある」とありますが、そんなことを言い出したら大抵のものは独自の解釈ができちゃうよ! ……まあ、こういった解釈を否定するつもりは全くありません。一つの見方として捉えています。ただ言えることは、この記事は読み物として純粋に面白かったので、一応紹介しておきます。

『BUMP OF CHICKENは「野生のブッダ」? 『天体観測』には仏教のすべてがあった』

https://bunshun.jp/articles/-/11133

 さて、BUMP OF CHICKENの楽曲を仏教の観点から考察したり、はたまた歌詞を文学的に解釈したりと、藤原氏の書く世界に着目する方や機会は多いように思われます。ということで私も便乗してBUMP OF CHICKENの楽曲を勝手に考察します。

 ただ小説投稿サイト「カクヨム」で連載しているエッセイのブログ版として、あくまで「物語に触れて感じたことを勝手に呟く」という趣旨のもと、これまでゆるーくテキトーでいい加減にお送りしてきました。ならばここでで扱う以上、BUMP OF CHICKENの楽曲を物語として解釈していこうではないか、というのが今回のお話。

 では本題。

 そもそも、「物語」とは何か?

 よく「起承転結」とか「序破急」などといったことを耳にするかと思いますし、カクヨムユーザーであればお馴染みだと思います。ちなみに「起承転結」は漢詩で、「序破急」は雅楽だったと記憶しております。現代では物語の構成として活用されています。まあ「起承転結」と「序破急」は、四段構成か三段構成かの違いくらいしかないと自分は認識していますけど。

 ただこうした「起承転結」や「序破急」は「物語」の本質を表しているものではない、といいますか、もっと簡潔に表現できます。

「起承転結」は主に、始まりがあって(起)、始まりから発展して(承)、発展したものが大きく転化し(転)、転化から最終的な結果に収束する(結)、といったところでしょうか。

 一方「序破急」は端的に言い表せば、生まれて(序)ぶっ壊して(破)クライマックス!(急)って感じです。……いや端的過ぎましたね。でも実際こんな感じです(テキトー)。

 この「起承転結」にしろ「序破急」にしろ、共通しているのが「物事が変化している」点です。ラブストーリーなら「出会ってすれ違って結ばれる」とか、ミステリーなら「事件だ!手がかりだ!推理だ!」といった具合で、お話が進むにつれて状況が変化しています。またスポ根とかなら、「弱小から練習を積み重ねて勝利!」みたいな感じになります。

 つまりは「物語」には「変化」が重要であって、広義的に物語とは、「ある事柄の状態が変わっていく様」という定義に落ち着いてきます。

 先程例にあげましたラブストーリーにしろミステリーにしろスポ根にしろ、どれも変化の過程を描いているに過ぎません。感情であったり解決であったり成長であったりするものは、「変化」に内包する一つの要素でしかないのです。

 さらにいえば直接語られているものではなくとも、たとえば「シャッターが閉まっている寂れた商店街」があったとして、その状況からドラマを想像することができます。かつて繁盛した時期があったでしょうし、これからの将来再開発で別にかたちに生まれ変わるかもしれません。過去から現在、現在から未来と時間が流れれば、当然そこには「変化」が生じます。要は変化の余地があればいいのです。道に落ちている片っぽだけのサンダル、誰もいない二人掛けのベンチ、毎朝電車で会うサラリーマン。想像できればなんでもいいです。「変化」が生じるのであればそれは立派な「物語」です。

 さて、「物語=変化」というお話をしましたが、ここでBUMP OF CHICKENの歌詞の内容に注目してみます。ええ、やっとBUMP OF CHICKENが出てきました。

 BUMP OF CHICKENの歌詞を読み解いていくと、曲の始まりから終わりにかけて内容に「変化」がみられるのです。どういうことかというと、BUMP OF CHICKENの歌詞の内容は、始まりと終わりでは状況が異なっているということです。つまりは「物語」になっているのです。

 ここでわかりやすい変化(物語)として、誰がどうみてもストーリーになっている楽曲である『車輪の唄』を例に出しましょう。ちなみに『車輪の唄』はアルバム『ユグドラシル』に収録されています。

 ただし歌詞をそのまま転載するのはJASRAC的にアウトになる可能性があるので(歌詞にも著作権があるため)、歌詞については各自で調べてください。一応曲の動画を貼っておきます。

「BUMP OF CHICKEN『車輪の唄』」(YouTube TOYSFACTORYJP)

https://www.youtube.com/watch?v=x9S9oygUEW0

 さて、部分的に引用しながら解釈していきます。この『車輪の唄』という曲の歌詞は、実は綺麗に「起承転結」を当てはめることができます。

 まず「起」は当然歌い出しからです。「錆び付いた車輪 悲鳴を上げ~」の部分。早朝、「僕」と「君」の二人乗り自転車で駅へ向かうシーンとなっております。そこから二人の関係性の深さや、町の情景が描かれています。そして「起」の締めとして1番のサビとなるわけです。

 2番の「券売機で一番端の~」から駅構内のシーンに変わります。この辺りから「承」の部分となり、電車が来るまでの間でより「僕」という人物を掘り下げるようなシーンとなっています。

 そして2番のサビ手前くらい「響くベルが最後を告げる~」から「転」となり、実際に電車が来て別れのシーンに繋がっていきます。起承転結の四段構成でも、この転の部分は大きな山場の一つとなりますので、この山場が2番のサビと重なるよう構成が工夫されています。

 最後に間奏を経て「線路沿いの下り坂を~」から「結」になり、「君」と別れた「僕」の視点で、進んでいく「君」に対して町に留まり残される「僕」の立場が描かれます。ここは最後のサビであるとともに、起承転結のクライマックスとなる部分でもありす。「転」のときと同様、楽曲としての山場と物語としての山場を揃えた構成になっているのが興味深いです。そして最後はエピローグとして、曲が終わると同時に物語としてもエンディングを迎える構成となっております。

 この通り、『車輪の唄』はわかりやすく起承転結が使われている歌詞となっており、歌でありながらより物語性を高めている楽曲であります。

 他にも物語性が高い楽曲はありまして、自分が強く推すのは『乗車権』ですね。『乗車権』も『車輪の唄』と同じくアルバム『ユグドラシル』に収録されています。

 参考までに動画を貼りたいところなのですが……残念ながら公式(?)らしい動画が見つからなかったので割愛します。まあ『乗車権』はアルバム曲として、割とマイナーな楽曲かと思いますので仕方がないといえば仕方がないですね。

『乗車権』はBUMP OF CHICKENとしては珍しいダークな世界設定であり、オチとしてもバッドエンドで終わるという、何とも後味の悪い内容となっております。詳しくは実際に『ユグドラシル』を買って聞いてみてください。

『乗車権』を物語の構成で解釈してみると、この曲は起承転結よりは序破急の構成の方が綺麗にまとまる印象です。

 夢の先に連れていってくれるバズがあって、強く望むことを書いた紙があれば乗車券となり、群衆が我先にと群がり視点人物も同じくバスに乗り込もうとする。(序)

 乗客を多く乗せたバスが出発。乗り継ぎのため降車するも乗車券をなくしたことに気がつき、時間だけが過ぎてしまう。(破)

 乗車券をなくしたためバスに忍び込んだものの、夢の先に連れていってくれるバスは望んでいない方向に向かって進んでいき、視点人物は途中下車もできず、夢の先なんて見たくもないと後悔する。(急)

 といったかたちにまとまるでしょうか。ホラー的なストーリーですが、一方で暗喩的な表現でもあり、強いメッセージ性を解釈することも可能です。この曲はより文学的な要素が含まれていると言っていいでしょう。

 BUMP OF CHICKENを語る上で外せないのが『天体観測』です。BUMP OF CHICKENの知名度を大きく上げた名曲中の名曲です。2ndシングルであり、メジャー一作目のアルバム『jupiter』にも収録されています。

BUMP OF CHICKEN『天体観測』

 MVを今見るとメンバーが若い……まあ『天体観測』は2001年の曲ですから、今から18年前ですか。そりゃ若いのは当たり前か。

 さて『天体観測』の歌詞の内容としては、1番は普通に天体観測してます。繊細な描写で青春らしさが表現されたいい内容となっております。

 2番からは時間が経過し、何やら哲学的なことを言い出しています。そこから読み進めていくと、天体観測をしていたときの相方と別れ、視点人物が一人になっていることが明らかになります。この辺りはただの時間経過の結果とすることもできますが、2番の方を現在とすると1番は過去回想として解釈もできますので、考察次第で時間の流れが微妙に変化します。

 Cメロは天体観測をしていた過去からの経過を用いて、現在からの視点で心情を表現しています。そして最後のサビでは、一人であることには変わりありませんが、しかし明らかに心情の変化が見受けられる内容となっております。

『天体観測』という歌には、こうした過去から現在に至り、そして現在からその先へ進むという、時間の流れによる変化が描かれています。先程、物語は「ある事柄の状態が変わっていく様」とし、「物語=変化」というお話をしましたが、この観点から言えば『天体観測』には視点人物の変化を表現しているので、十分物語たりうると考えます。

 この『天体観測』の歌詞の素晴らしいところは、解釈次第でいかようにも捉えることができる、ある種の自由さが含まれている点ですかね。歌詞の中に登場する「僕」と「君」の関係性も明確に明かされていないわけですから、そこから様々な想像を膨らませることができます。(ただし、Wikipediaによればラブソングではないそうです)

 そういう意味では、今回この記事を書くきっかけとなった、BUMP OF CHICKENを仏教の観点から考察した例の記事も一つの解釈であり、個人的には素晴らしい着眼点だと思います。

 もちろん歌詞の内容に起承転結や序破急を用いているアーティストは他にもいらっしゃいます。今回はあくまでも物語性がより強く出ているアーティストとしてBUMP OF CHICKENを取り上げました。そして個人的にはBUMP OF CHICKENの中でも『ユグドラシル』が最も物語性のあるアルバムだと思っています。いやなんかもう、ただの『ユグドラシル』推しみたいな感じになっていますけどね……。

 今回は3曲を取り上げてBUMP OF CHICKEN楽曲の物語性についてお話しましたが、当然この3曲以外にも物語性が強く出ている楽曲が多くあります。『車輪の唄』のようなストレートな物語もあれば、『乗車権』のように比喩を用いたものもあり、また『天体観測』のように深く解釈できて多種多様な物語を生み出せる楽曲もあります。そして意外にも物語性だけではなく哲学の要素も含んでいる楽曲もありますので、より解釈と考察のし甲斐があります。

 既にBUMP OF CHICKENのファンである方も、まだBUMP OF CHICKENを聴いたことのない方も、この機会に歌詞カードをじっくり眺めながら曲を聴いてみてはいかがでしょうか。意外な発見があって音楽以上の体験ができますよ。

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