【映画】『海獣の子供』を見てきました。意味不明? いやいや、そもそも「意味」を理解する必要があるのだろうか?

※この記事は、小説投稿サイト「カクヨム」にて2019年6月12日に公開されたものを一部修正して転載しています。

カクヨム版

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886711486/episodes/1177354054889962940

 6月7日から公開されました劇場アニメ『海獣の子供』を見てきました。いやーこれがなかなか……なかなかな作品でした。何が凄いのかといえば……とにかく凄いのです! いやまあ、そうとしか言いようがないのですけどね。というわけで今回は劇場アニメ『海獣の子供』についてです。

 公式ページ:https://www.kaijunokodomo.com/

 あらすじ

光を放ちながら、地球の隅々から集う海の生物たち。巨大なザトウクジラは“ソング”を奏でながら海底へと消えていく。<本番>に向けて、海のすべてが移動を始めた―――。自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は、夏休み初日に部活でチームメイトと問題を起こしてしまう。母親と距離を置いていた彼女は、長い夏の間、学校でも家でも自らの居場所を失うことに。そんな琉花が、父が働いている水族館へと足を運び、両親との思い出の詰まった大水槽に佇んでいた時、目の前で魚たちと一緒に泳ぐ不思議な少年“海”とその兄“空”と出会う。琉花の父は言った――「彼等は、ジュゴンに育てられたんだ。」明るく純真無垢な“海”と何もかも見透かしたような怖さを秘めた“空”。琉花は彼らに導かれるように、それまで見たことのなかった不思議な世界に触れていく。三人の出会いをきっかけに、地球上では様々な現象が起こり始める。夜空から光り輝く流星が海へと堕ちた後、海のすべての生き物たちが日本へ移動を始めた。そして、巨大なザトウクジラまでもが現れ、“ソング”とともに海の生き物たちに「祭りの<本番>が近い」ことを伝え始める。“海と空”が超常現象と関係していると知り、彼等を利用しようとする者。そんな二人を守る海洋学者のジムやアングラード。それぞれの思惑が交錯する人間たちは、生命の謎を解き明かすことができるのか。“海と空”はどこから来たのか、<本番>とは何か。これは、琉花が触れた生命(いのち)の物語。

 予告(YouTube)

 恥ずかしながら、原作は全く知りませんでした。そのため今回劇場での鑑賞は完全事前情報なし、初見で見てきました。

 ただですね……これは初見で見る映画じゃない、というのが率直な感想でした。

 所謂「考えるな、感じろ」という作品です。

 原作ではどうなっているのかはわかりませんが、この映画はストーリーを追いかけてもあまり意味がありません。なにせ、理解できるような丁寧さは皆無なのですから。

 しかし、わけがわからないストーリーだから駄作なのかといえば、そうではありません。わけがわからないのがこの作品の本質といえるでしょう。

 というのも、実際映画を鑑賞してみて、確かにわけがわからないのですが、かといってその部分に不満があるかといえば……ありません。映画を見終わった直後は確かなカタルシスを感じることができます。

 この映画の特徴としましては、圧倒的なアニメーションですかね。美術的なこともそうですし、音楽も素晴らしい作り込みで、映画館の大画面と音響をこれ以上ないくらいに生かした印象でした。そうした映像暴力で心を容赦なく撃ち抜いてくるので、話はわからなかったとしてもただただ圧倒される作品に仕上がっています。

 なんと言いますか……この映画はエンターテインメントというよりは、もっと純粋な芸術作品のような気がします。どちらかといえば美術館で絵画を鑑賞している感覚に近いかもしれません。

 この映画は海洋作品ですが、そういう意味では、水族館を美術館化して映画館で公開した、といったイメージがありますね。

 自分は美術館とか全然行かないのでよくわかりませんが、芸術作品としての絵画を鑑賞するのに、頭で考えて理解するよりは心で感じ取ったものに感銘を受けることが多いと思います。

 そういった観点からいくと、この『海獣の子供』は芸術として物語を鑑賞するべきであって、エンターテインメントとしてストーリーを楽しむ作品ではないような気がします。そしてエンタメではなく芸術だからこそ、ストーリーの「意味」という部分を完全に理解する必要はないのでは、と思ったりします。

 ただ全く理解できないということでもなく、断片的ではありますがなんとか理解することはできます。というか、大事な部分はしっかり描写されていますので、作品のテーマはちゃんと伝わってきます。この作品は「生命」に関して攻めた表現をしています。

 作中において、海から伝わる情報の全てを言葉にすることはできない、みたいなことを言っていました。また話として宇宙といったマクロ的なところま広がりを見せますが、その伏線(?)として宇宙の暗黒物質(ダークマター)についてふれ、認識できないものの方がはるかに多いことを説明しています。予告にもあります「僕たちは何も見えていないのと同じだ」という台詞も印象的ですし、映画のキャッチコピーである「一番大切な約束は言葉では交わさない」というのもとてもよく作品の内容を表していると感じます。

 つまりは「生命」といったテーマを人間が言語化できる範囲を飛び越えて表現している作品であり、そういった意味では、この作品は100%理解してはいけないものといえるでしょう。

 映画というフォーマットに落とし込んだ「絵画」を通じで、「生命」についてどう感じ取るのか。その直感的で抽象的な感覚を見せてくれるのが、この『海獣の子供』という作品の本質なのかもしれません。少なくとも私はそう感じました。

 この映画はですね、結構上級者向けの意識高い作品だと思います。間違っても家族や友人やカップルで鑑賞するような作品ではありません。むしろ誰かと一緒に鑑賞すると微妙な空気になるかも。ただこの映画の質たちの悪いところは、予告や映画の前半部分を見る限り、ボーイミーツガールといったよくある青春物語という印象を抱きますが、一方で後半からの芸術的な映像の圧力が押し寄せてくるので、一般人をエンタメで釣って芸術の領域に引きずり込もうとしている点でしょうか。原作を知らないと、こんな内容の映画だなんて微塵も思いません。

 ただ見て損するような映画ではありません。わけはわかりませんが、感情を揺さぶる感動は確かにあります。

 これは個人的に思ったことですが、この映画はどことなく円城塔作品を読んだときに近い感覚があるかもしれません。円城先生といえば、純文学界隈からは「SFの人」と呼ばれ、SF界隈からは「純文学の人」と呼ばれている作家さんです。映画と円城氏の作風は全然似ていませんが、しかし円城作品は前衛文学として「わからないという感覚を楽しむ」という要素があって、この部分が映画『海獣の子供』に通じるものがあるような気がしました。

 決して万人受けするような内容ではありませんが、映像作品としてとても価値のあるものだったと思います。なんか海外とかの映画の賞とか受賞しそうな感じがする高尚さがありますね。

 なんか、久々に質の高いアニメを見た気がします。気になった方は気合を入れて見てください!

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