【ゲーム】『真・女神転生III-NOCTURNE』を紹介。シナリオによってはこういうオチもありかもしれない

※この記事は、小説投稿サイト「カクヨム」にて2019年8月17日に公開されたものを一部修正して転載しています。

カクヨム版

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886711486/episodes/1177354054890783350

 近頃某ゲームを原作にした映画が絶賛炎上してますね。自分は見ていないので何とも言えませんが、どうやら原作ファンを冒涜するようなクライマックスだったようで、しかも原作だけではなく広い範囲のゲームファンを全否定するかのような内容だったらしいです。

 自分はこれを噂で聞いて、逆に某映画が気になってきました。いや自分原作となった某国民的人気ゲームを遊んだことがなく、思い入れとか皆無で気になってすらいなかったのですが(世代的には直撃なのですが、自分はむしろポ○○○の方をずっとやってました)、何と言いますか逆張り精神全開で映画を鑑賞したいと思えるようになりましたね。

 ただ酷評映画を、最後のクライマックスがいかにクソかを楽しみに2時間+α(映画館へ行く時間等々)&料金1,800円(TOHOなら1,900円)をかけて見に行くのはあまりにももったいないような気がしたので、Amazonプライムとかの配信サイトで公開されたら見てみようと思っています。

 この映画は、「実は○○でした!」といった新手の夢オチのようです。ええネタバレサイトをいくつか読んで知りました。ネタバレを読んでいる分にはスゲェ面白いです。

 と、ここでふと思いました。夢オチでも名作はあるのではないか、と。所謂夢オチと呼ばれるものは、それまでのお話の全てを「夢だから」の一言で片付けられてしまうほど強力なものでして、それ故ガッカリ感が増してしまうものだと思います。夢オチは物語においての禁じ手だと自分は考えています。自分も夢オチ作品に触れたときに「時間を返せよ!」と言いたくなりますね。

 ですが、たとえ夢オチだったとしても満足した作品もあります。それが今回取り上げるゲーム作品『真・女神転生III-NOCTURNE(ノクターン)』(以下メガテン3)です。

 ……いやまあ、既に盛大なネタバレをしていますけど、メガテン3は2003年にPS2で発売されたゲームでして、令和元年である2019年の今としては16年前の作品になります。さすがに16年経過している作品のネタバレをどうこう言うのもおかしな話ですし、そもそも今の時代では遊ぶのにPS2ソフトが遊べる環境を用意しなければいけないので、遊ぼうと思っても容易に遊べないかと思います。

 なので、今回は普通にネタバレしながら語っていきます。いや、でも、もう16年前のゲームで自分の記憶もかなりあやふやなので、記憶だけを頼りに書いているこの記事はいい感じにネタバレ回避になっているかも?しれませんね。

 ちなみにですが、話題の某映画についてはこれ以上語りません。というか、見てすらいない映画作品についてアレコレ語るのも違うと思いますので。もし語るとしたらちゃんと鑑賞してから語ります。今回はあくまでメガテン3についてです。

 基本情報

『真・女神転生III-NOCTURNE』

 PlayStation 2用ソフト

 開発元及び販売元:アトラス

 あらすじ(Wikipediaより抜粋)

 「東京が死んで、僕が生まれた」200X年。都内の高校に通う主人公の少年、新田勇、橘千晶の3人は、入院している担任の高尾祐子のお見舞いに行く約束をしていた。病院へ向かう電車の中で少年は奇妙な夢を見る。やがて世界が滅び、その終わりを少年が生き抜いて行くという不思議なメッセージ。電車の到着アナウンスで夢から目覚めた少年は「新宿衛生病院」へと向かう。しかし病院には、勇と千晶の他には受付にも病室にも人の気配は無かった。嫌な予感を抱えつつ手分けして祐子を捜す内に、主人公は地下室で妖しげな機械を操る氷川という男に殺されそうになるが、祐子に助けられる。2人はこの病院で、世界を終末に導く「東京受胎」の準備を進めていたのだった。3人の少年少女はその東京受胎に巻き込まれ、世界が滅び、姿を変えてゆく様を目にする。受胎の凄まじいエネルギーに意識を失った少年は、謎の金髪の子供と老婆に「マガタマ」と呼ばれる不思議な生物を埋め込まれ、悪魔へと変貌してしまう。そして目覚めた時、カグツチと呼ばれる発光体の浮かぶ閉じられた異界「ボルテクス界」へと姿を変えたトウキョウの姿を目の当たりにするのだった。人間が滅び、悪魔達が徘徊するトウキョウを、悪魔の力を得た少年は戦いながら、この世界の真相を探るべく旅していくことになる。どこかに祐子達が生きていることを信じて。ボルテクス界を周りかつての友人や祐子に再会するも、それぞれの心がもはや後戻りできない段階へと至ってしまう。そして、変革をもたらす存在として各勢力から協力を求められる主人公。天に輝くカグツチへと至る塔を前に、各々の主張する理想的世界の中から主人公が選択するのは、かつてと同じ自由か、変革された世界か、あるいは終わらぬ混沌か…。

 2003年にアトラスから発売されたメガテン3は、シリーズにおいて画期的な作品。とくに悪魔等の3Dデザインは後の作品、女神転生シリーズはもちろんその他にも、アバタールチューナーや葛葉ライドウなどといった作品、そして今や人気タイトルとなったペルソナシリーズなどにも採用されています。またメガテン3には「プレスターンバトル」と呼ばれる独自のターン制戦闘システムが登場しましたが、こちらも高い評価を得ており、のちの『真・女神転生IV』やペルソナ作品にも採用されています。そういう意味では、昨今のアトラス作品の基盤を作った作品と言えます。

 で、メガテン3のストーリーの方ですが、つまりは世界を新しく創造するために一旦今ある世界を破壊した、というものです。それがあらすじにもある「東京受胎」という現象になるわけです。ほとんどの人間が滅び悪魔が跋扈する混沌の世界の中で、三人の人物がそれぞれ思想を抱き、やがてその思想をもとに悪魔たちを引き入れ勢力化していき、そして思想を成就するために世界の中心を目指して新世界の創造を企みます。ただ三つの勢力がそれぞれ新世界を目指すわけですから、当然三つ巴の様相を呈し、混沌した世界がさらに混沌としていくのです。主人公はその三つの勢力のうちどこに加担するかによってエンディングが分岐する、というお話。

 面白いのが、この三人の人物による三つの思想が歪んでいるもののある意味では納得できてしまうところにあります。

 簡潔にまとめますと、

 一人は強者だけが高みを目指すことができ弱者を徹底的に排除する典型的な弱肉強食の思想。

 もう一人は個人の感情や欲望をなくして意思のない歯車に成り果てることで平和で静寂な世界を目指す思想。

 最後の一人は逆に、他者による干渉を拒みまた自身も他者に干渉しないという個人の欲望で完結した完全孤立の思想。

 これらは、それぞれの登場人物が現実世界で暮らしているうちに漠然と抱いていたものが、「東京受胎」後に明確なかたちとして現れたものだと記憶しております。そういった意味では、思想自体はなかなか突飛なものではありますが、しかし現実にも通じる皮肉の利いた風刺といえるでしょう。私としても、三者の言い分は素直に受け入れることはできなくとも納得できる部分もある、といった具合です。(ちなみにですが、二番目の思想はなんだか伊藤計劃作品っぽいものがあると、書きながら思いました)

 ゲームでは、この「弱肉強食の新世界」「無感情の新世界」「完全孤立の新世界」の三つを、主人公の選択によってストーリーが分岐して目指していくことになります。いわば「東京受胎」は受胎とあるもののほぼ卵子の役割を持っていて、三人のそれぞれの思想がつまりは精子であり、たった一つの思想(精子)が世界の中心である「カグツチ(卵子)」に到達することで新しい理を持った世界が受精する、といった、物語そのものがメタファーとなっていると個人的には思っています。ゲームでありながらも実にスペキュレイティブな内容といえます。

 ただこのシナリオでは、どう足掻いてもハッピーエンドにはならないので、物語はゲームが進んでいくにつれてどんどん混沌で陰鬱でネガティブなものへとなっていきます。表現も残酷で生々しいものへとなっていき、ハッキリ言って全体的に鬱ゲーでしかありません。

 ですが一応のトゥルーエンドが設定されており、主人公が第四の選択をしたことで「東京受胎」をなかったことにして元の世界に戻す、といった夢オチ紛いの強引な結末が用意されています。ええ、だってラスボス倒したら主人公が自室のベッドの上で目を覚まし、外では変わらない日常風景があるというエンディングは、夢オチ以外の何ものでもないでしょう。

 ただ自分はこのエンディングに関して、確かに強引ではあるものの結末としては悪くない、といった印象を抱いた思い出があります。

 この結末について、16年経った今考察してみると、いくつか納得できるものがありました。

 まずこのゲームは終始鬱々していて、救いが全くないシナリオとなっています。ただこれは、「ハッピーエンドにするには、すべてをなかったことにする以外ない」といった気持ちを自然に抱かせる内容であり、事実上、夢オチ以外の選択肢をことごとく潰した末の満を持しての夢オチなのです。つまりはそれまでのお話でマイナスに振り切った感情を、夢オチによってゼロに戻すことで、疑似的なハッピーエンドを感じられるような作りになっているかと思います。

 一方で叩かれる夢オチ、一般的にタブーとされている夢オチとは、おそらくそれまでのお話で冒険や絆といった要素によって受け手の感情がプラスに傾いていて、その絶頂においての夢オチでゼロに引き戻される、といったものだと思われます。

 炎上する夢オチは、プラスからゼロにすることで感覚的にはマイナスとなってしまうことが原因かと思います。反対にメガテン3は、マイナスからゼロにすることで感覚的にはプラスになったという印象を抱いてしまうからこそ、たとえ夢オチであったとしても「これはこれでアリなのでは?」と思えてしまうのだと私は考えます。

 また思うに、トゥルーエンドは確かに夢オチのようでもありますが、一方で第四の選択により「今までの世界」や「世界の修正」といった新世界を創造した結末なのではなかろうか、と考えることができます。この解釈であれば、強引な結末ではあるものの確かに作品のテーマと合致する真っ当なエンディングである、といえるのかもしれません。ええ、強引な結末であることは認めます。

 某映画のように、確かに夢オチ(に近いものも含む)のほとんどは叩かれ炎上する結末でありますが、一方で扱い方次第、活かし方次第では有効な結末になると個人的には思ってしまうときもあります。

 ただ普通は夢オチなんていう暴投は避けますし、それこそプロのシナリオライターならなおさら注意するべきことだと思います。某映画もそうですしこれまでの夢オチ作品は一体どういう神経をしてこのような結末にしたのか、疑問を抱かざるを得ません。……まあ、某映画を鑑賞していないので何とも言えませんけどね。

 ですが、夢オチのような結末でもアリと思える作品も確かにあって、その一例が今回取り上げたメガテン3(真・女神転生III-NOCTURNE)なのでは、というお話でした。

 ……久々にメガテン3をやりたくなったけど、はて? 我が家のPS2はどこにいったのかしら?

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