【漫画】『ルックバック』が話題になっているので読んでみた。確かにコレはスゲェ作品だった……

 集英社の漫画サイト「少年ジャンプ+」にて、今月の19日に無料公開された読み切り漫画『ルックバック』が、SNSをはじめとするネット上で大反響を呼んでいるようです。

 作者は『ファイアパンチ』やアニメ化も決まっているジャンプの人気作『チェンソーマン』でお馴染みの藤本タツキ。

 読み切り作品『ルックバック』が公開されてからというものの、一般ユーザーだけではなく同業者である漫画家や、その他小説家や著名人などによる絶賛の感想が多く発信され(中には嫉妬混じりの感想も含む)、今週一週間の注目の作品となりました。

 そんな今勢いのある話題作を自分も読んでみまして、「やっぱプロってスゲェな……」と改めて思いました。そんなこんなで今回は、読み切り漫画『ルックバック』を読んで個人的に感じたことについて。

『ルックバック』

 藤本タツキ

 学生新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートからは絶賛を受けていたが、ある日、不登校の同級生・京本の4コマを載せたいと先生から告げられるが…!?

 少年ジャンプ+『ルックバック』作品ページ

 一言に、二人の少女を描いた創作系の青春作品。ある意味では広義的な百合ともいえなくもない(自分自身が「女の子が二人いればそれだけで百合」と主張しているクソ百合豚のせいでもあるが)。

 作品のお話としても、起承転結がはっきりしていてドラマ性に富んだストーリー構成が特徴的。読み切り作品としては少々尺が長いと思いますが、それでも途中でダレることなく先を読ませる魅力は、まさに話の進め方の妙と言えるのかもしれません。

 話としてもクライマックスで場面が大きく切り替わるところがあり、これをSF的な並行世界パラレルワールドと解釈するのか、それともただ単に人物による妄想オチなのか、といった解釈の幅があって、読む人の捉え方次第で作品の印象が微妙に変化する要素もあるかも。

 また解釈ということであれば、この『ルックバック』という作品では二年前に発生した京都アニメーションの放火殺人事件をモチーフにしたかのような描写もあり、公開された日付的に追悼作品としても解釈可能であるのも特徴の一つかと思います。

 あと、自分は普段あまり漫画作品とか読まない方でして、コマ割りとか作画などといった漫画特有の専門的な視点で作品を解釈することはできないのですが、ただ漫画素人ながら、読んでいてまるで映像作品を彷彿とさせるような見せ方だったという印象を抱きました。コマとコマの間の繋がりがすんなり馴染む感覚があったような気がしますね。短編映画を見ている感覚になりました。

 それらを通して、「この作品、物語としてクオリティ高いなー」と素直に思ったのが、この『ルックバック』という漫画作品を読んだ最初の感想でした。

 さて、先程でも触れましたが自分は漫画作品を読む機会があまりなく、お恥ずかしながら漫画家の藤本タツキ先生についてよく存じ上げておりません。『チェンソーマン』についてはジャンプ作品の中でも人気があるという噂を耳にするくらいで実際に読んだことはなく、『ファイアパンチ』に至っては作品の存在そのものも知りませんでした(ウィキペディアで代表作の欄に『ファイアパンチ』『チェンソーマン』と記載されているのを鵜呑みにしている現状です)。

 そういったこともあり、この読み切り作品『ルックバック』を読み終わったあとで作者さんについて調べてみたのですが(主にウィキペディア)、結構興味深い点がありましたね。

 とくに思ったのが、『ルックバック』を構成している要素に作者ご自身の要素が多く取り入れられているのではという点。

『ルックバック』の作中において登場人物が美術大学に進学するシーンがあるのですが、作者である藤本タツキ先生も大学で美術を学ばれており、『ルックバック』の背景で描かれている校舎がまんま出身校そのままでちょっと面白かった。

 あと『ルックバック』ではセルフパロディが多用されているそうで、自分が調べた限りですと二個三個くらい出てきました。おそらく漫画マニアやファンの方がお読みになればもっと多くのネタが発見できるのかもしれません。

 それとなにより京都アニメーションの件について、ウィキペディアに書かれていることを信用するならば、どうやら好きで繰り返し見ているアニメ作品に『涼宮ハルヒの憂鬱』『氷菓』『日常』といった京アニ作品のタイトルを上げられてます。これを見る限りですと、やはり京アニ作品からの影響も少なからず受けているのではないかと思われます。

 そういった観点からいうと、この『ルックバック』という作品で京都アニメーション事件を思わせるかのようなシーンは、単なる作品を構成するモチーフの一つにとどまらず、京都アニメーションへの追悼という意味と同時に、作者ご自身が事件を受け止めるための通過儀礼的に描かれた作品として解釈できるのではないかと、作者さんの情報を知った今では思えるようになりました。

 ただ、だからといってメッセージ性を重視した主張の強い作品なのかと言われると、そうではないと否定できますね。

 もちろん漫画でも小説でも映画でも、制作者の個人的な感情や思想、主張を作品内で表現しているものは多く存在しているかと思います。またそれら個人的なものが作品に勢いを持たせる要因になることもあるかと。

 ただそれらの作品について、あたかも作品の中で作者が透けて見えるような作品は、自分的には苦手です。苦手というか単純に、現代文のテストで「このときの作者の気持ちを答えよ」みたいな感覚がして萎えるんですよね。受け手側として興味があるのは作者ではなくあくまで作品なので、そういった作品内で作者の要素が強すぎるものは、まるで作品が作者の代弁者になっているかのようで気持ち悪さを感じることがあったりします。

 今回読んだ『ルックバック』という作品も、作者さんのことを調べれば調べるほど作者の要素を多く取り入れた作品であるという印象になります。ですがこの『ルックバック』という作品のすごいところは、作品に作者の要素があるにもかかわらず作者の存在感が皆無であるのです。

 実際に作者さんのことを全然知らない状態で読んだ初回のときは、一つの優れた漫画作品として純粋に楽しめましたし、作者さん情報を得た二回目以降でもその純粋に楽しめた感覚に変化はありませんでした。

 作品に作者さんの要素を入れているとはいえ、作中で描かれているのは作者自身ではなく、圧倒的に主人公たち登場人物のお話なのです。

 作者による思想や主張などではなく、どこまでも「物語」として描かれているのです。

 こういった作者さんの要素を「物語」として上手に落とし込むところが抜群にうまいと、『ルックバック』二回目で突きつけられた具合でした。

 なかなかこういうのって、できそうに思えて難しいところがあると思います。プロアマ問わずそのバランスが崩れてしまっている作品も見かけることあります。ただこの『ルックバック』では作者さんご自身の創作体験や京都アニメーションへの追悼などというメッセージ性があるのかもしれませんが、それ以上にどこまでも優れた漫画作品であったと感じています。

 よく「作品で語れ!」と言われることがあるかと思いますが、それは単に作者の思想や主張をそのまま描くのではなく、その思想や主張を練り込んだうえで作品になるように形を作っていくことなのだと痛烈に思い知らされました。

 なんでしょうね、漫画でも小説でも映画でも同じ「作者」ではあると思いますが、同時に「作者」は「表現者」でもあるんですよね。

 今回読んだ『ルックバック』では、作者である藤本タツキ先生の持つ「表現者」としての才能が遺憾なく発揮された傑作だったような気がします。

 どなたかはスミマセン忘れてしまいましたが、『ルックバック』の感想の中に「人の心を折るタイプのウマさ」みたいなことを呟かれている方がいらっしゃって、「確かに」と思いました。やっぱ天才っているもんですね。

 という感じで漫画サイト「少年ジャンプ+」にて公開された読み切り漫画『ルックバック』についてかなり個人的な感想でした。

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