【アニメ】『PSYCHO-PASS サイコパス』の面白さって槙島聖護にあると思う

※この記事は、小説投稿サイト「カクヨム」にて2019年12月26日に公開されたものを一部修正して転載しています。

カクヨム版

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 2019年秋アニメとして『PSYCHO-PASS サイコパス 3』が放送され、今月最終回を迎えました。ノイタミナ枠にて毎週1時間の拡大版で全8話放送された今作は、放送終了時に劇場公開が予告され、さらなる盛り上がりに期待する方は多いと思われます。

 ……とはいえ、自分としては少々複雑な気持ちではあります。というのも自分は「続きは劇場で!」といったかたちの劇場商法に対して否定的な感情を持っていまして……テレビシリーズでやったのならテレビシリーズで完結しろよ、と思わなくもないです。いえ別にお金がかかるからイヤだという話ではなく(実際に映画鑑賞料金って高いなーと感じているため理由としてはあります)、放送時から劇場公開まで期間が空くと内容を忘れてしまうといいますか、すんなり話が繋がらないのであまり好きではないのです。あと期間が空くと興味が薄れ「別に見なくてもいいか」という気持ちにもなってしまいます(現に○○タの劇場版はそれらの理由によって結局見に行きませんでした)。

 そういった個人的な事情により、『PSYCHO-PASS』3期の完結編である劇場版を鑑賞するのをためらっています。ただ、理由としましては前述した要素だけではなく、もっと根本的な要素によって躊躇しています。

 そもそも、『PSYCHO-PASS』3期のストーリーって微妙ではなかろうか?

 いや3期だけではなく2期も正直微妙な感じだったと記憶しています。

 自分にとって『PSYCHO-PASS』は1期が一番好きなんですよね。何なら『PSYCHO-PASS』1期は2010年代のアニメの中でもトップクラスの面白さとして絶賛したくらいです。そのため1期派の自分としましては、2期や3期は正直「これじゃない」感が拭えないのです。

 では『PSYCHO-PASS』1期の魅力とは何か? と考えてすぐに出てくるのが、1期において黒幕であった槙島聖護の存在だと思います。

 というわけで今回は『PSYCHO-PASS』3期放送終了を機に『PSYCHO-PASS』1期に登場した悪役槙島聖護を振り返ってみようと思います。

 一応『PSYCHO-PASS』1期のおさらいとしてあらすじを記載します。

 あらすじ

 あらゆる感情、欲望、社会病質的心理傾向はすべて記録され、管理され、大衆は「良き人生」の指標として、その数値的な実現に躍起になっていた。人間の心の在り方、その個人の魂そのものを判定する基準として取り扱われるようになるこの計測値を人々は「PSYCHO-PASS(サイコパス)」の俗称で呼び慣わした。 犯罪に関する数値も“犯罪係数”として計測され、犯罪者はその数値によって裁かれる。治安維持にあたる刑事たちは常に、犯人を捕まえる実動部隊となる“執行官”と、執行官を監視・指揮する“監視官”のチームで活動する。自らが高い犯罪係数を持ち、犯罪の根源に迫ることのできる捜査官こそが優秀な“執行官”となりうる。それゆえに、犯罪者になりかねない危険も孕む“執行官”は、その捜査活動を冷静な判断力を備えたエリートである“監視官”に監視されている。

 槙島聖護の魅力を一言で言い表すと、独特のカリスマ性、ということになるかと思います。

 容姿について「芸術のような美貌」「過剰なほど整った顔立ち」などといった表現がされるほど、作品において屈指のイケメン。また性格も、表面上は穏やかで人当たりのいい好青年だが、内面は冷酷なまでに残忍。滅多に感情を露わにしない、まるで仮面を被っているかのように本心が見えない人物です。

 そしてその本心が見えないという要素を表現する描写として、槙島聖護は自分の言葉ではなく書籍から引用して会話する特性があります。

 作中において槙島聖護は無類の本好きとして描かれ、本に対して並々ならぬこだわりを持っており、曰く、紙の本を読むことで精神的なチューニングが行えるとのこと。「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」といった感じのセリフが登場し、続けて語られる持論は思わず納得してしまう深さがあるのです。大事なのは本を捲ったときの瞬間的に脳を刺激するもの、だそうです。ちなみにですがこのシーンの最初に「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない」みたいなセリフがありますけど、このセリフは後に「紙の本を読みなよ」とされ書店でフェアが開催されたようでして、書店にて槙島聖護を多く見かける時期があったとか。

 作中において引用によるセリフで印象的なものをあげると、

「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った」(マタイによる福音書の引用)

「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与える事ができなかった」(パスカル「パンセ」の引用)

 などがあります。槙島聖護による引用は多岐にわたりますので、『PSYCHO-PASS』1期を視聴する際に一つの注目ポイントとするのもいいと思います。検索すると引用に用いられた書籍のまとめや紹介のページもありますので、アニメ視聴に合わせて調べてみるのも面白いかと。

 こういった引用を用いる性格であり、また自身も哲学的な真理を追い求めているなど、槙島聖護という人物は実に思索的なキャラクター性であり、物語に深みを増す要因になりつつもどこか得体のしれない不気味さを感じさせるのです。

 また作品としても、登場するSFガジェットの「シュビラシステム」に反抗する存在として物語を大きく動かしていきます。人の心を計測することによって犯罪を事前に取り締まる社会において、槙島聖護は、善と悪の選り分け、人としての在り方、人間の意思と価値、といった問いかけを主人公サイド、そして視聴者に投げかけていくのです。

 いわば槙島聖護の存在そのものが『PSYCHO-PASS』の世界においてアンチテーゼとして機能しています。人の心を計測してシステムによる健全な社会を享受する発展した近未来に対して、紙媒体をこよなく愛し哲学によって人の本質に迫るある意味アナログ的な槙島聖護。槙島聖護自身の特異体質と生来の性格も合わさり、作中において社会に世界に抗おうとする姿勢は、実に人間味を感じるものであると思います。シュビラシステムによって生かされている作中世界の人々の中でも、一番人間として生きようとしているようにも感じられます。

 作品の中で、突出した運動能力による肉弾戦や、事件を裏から操る頭脳明晰な思考力など、槙島聖護は超人として捉えられがちですが、しかし槙島聖護は『PSYCHO-PASS』において誰よりも人間らしい人物といえるでしょう。というより、最早槙島聖護こそが主人公と言っても過言ではないくらいに引き付けられる魅力があります。

 そんな槙島聖護も対となる存在である主人公狡噛慎也と対峙する度に、そしてヒロイン(こっちが主人公?)である常守朱と対峙する度に、槙島聖護がもつ真理や人間味が強調され、強くカリスマ性を感じずにはいられないほど引き込まれてしまうのです。

 数々の事件で暗躍し、最終的にはラスボスとして主人公たちに立ちはだかる槙島聖護は、もちろんサスペンス的な悪役ではあるものの、人間ドラマとして作品を強く引っ張っていく軸でもあると、自分は思っています。

 正直に申せば、所詮フィクションの登場人物でしかありませんが、槙島聖護はリスペクトに値するほどの人格者であると思っています。

 そのため槙島聖護がメインで登場しない2期や3期は物足りなさを感じてしまうのです。おそらく自分が2期や3期を心から楽しめていない要因はここにあるのではないかと考えます。

 というか、2期と3期って、1期と違ってよりサスペンスに寄せてしまっているような印象を受けます。1期にあった、人としての在り方を問いかける哲学的要素や発展した社会において人間としての葛藤のドラマといった、SFとしてのセンス・オブ・ワンダーが薄れてしまっていると思うのです。

 なのでシリーズものとして今後も継続して展開していくなら、もう一回槙島聖護メインの話を作ってもらいたいですね。展開上ムリだとは思いますけど、こっちは『PSYCHO-PASS』で槙島聖護を見たいんじゃ! もしくは槙島聖護を超えるほどのインパクトのあるキャラクターを登場させるしかないかと。

 といった感じで、『PSYCHO-PASS』3期が放送終了した今だからこそ『PSYCHO-PASS』という作品の魅力を考えてみました。おそらく異論等はあるかと思いますが、あくまで私個人の見解ということでご愛嬌を。

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